X(って言うのが嫌なのでTwitterって呼んじゃう)でもつぶやいてましたが、9月2日から9月28日まで入院していました。
死にたい気持ちや自傷したい気持ちはとりあえず今のところなくなりました。というか、入院して次の日の朝にはなくなってました。主治医によるといるらしいです。ぼくのようなパターンの人も。
かなり長いので入院生活のあれこれはつづきから。
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入院した理由はサイトやTwitterを見てくれている方ならお察しの通り、もう死ぬことしか考えられなかったからです。当然死ぬことを家族が許してくれるはずもなく、入院することにしました。
任意入院だと思ったら医療保護入院でした。医療保護入院は任意入院と違って医師の許可でないと退院ができません。とりあえず数日おとなしくしてとっとと家に帰ろうというプランが秒で破綻しました。
診察をしているとぼくは保護室行きギリギリのところだった気もしますが、何故か大丈夫でした。自殺未遂までいかなかったからでしょうか。
隔離や拘束、行動時間の制限も初日からありませんでした。
行動制限がある患者さんは17時になると部屋に保護室に戻されたり、ひどい患者さんだと午前午後1時間ずつしか外に出れなくて、寝ることか部屋でふらふらすることしかできません。地獄だ。
保護室にはトイレがあるので行動時間外のトイレはそこでします。
初日は入院したのが夕方だったので、18時に夕食を食べてあとは睡眠だけ…なのですが、とりあえず暇です。
ぼくの病棟はマスクと財布以外の私物を持ち込むことが一切できなかったのです。
まあスマホはダメだろうな…と予想していましたが、筆記用具まで没収されるとは思わなかったのでとりあえず部屋でお絵描きしようというプランが秒で破綻しました。
とりあえずホールに出て、おりがみの裏で日記を書く。というか書くものがおりがみの裏しかないんです。何故か消しゴムもなかったので(これはある患者さんが何かの間違いでずっと持っていた説が高い)私物制限が解除されるまでは一発書きでした。
20時に眠剤を貰うものの、枕もマットレスも全然合わなくて全然寝れず(後にマイ枕を持ってきても眠れなかった)。それに病室がホールに近かったのでテレビや他の患者さんの声がうるさくて全然眠りにつくことができませんでした…。
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一日の流れとしては、6時に起床で、検温と便の回数を記録。部屋の電気が勝手に付くのとアナウンスがあるので意外と起きれます。
次のイベントである朝食は8時と少し遅め。
メニューはサラダなどの小鉢と8枚切り食パン2枚+ジャムと紙パックの牛乳です。牛乳はメグミルクのいいやつで食パンも甘くて美味しかったなあ。
日によっては午前中に入浴や売店誘導があります。
売店誘導は看護師さんが買い物に付き添ってくれます。ただ、私物制限や行動制限がかかっているとダメで、その場合は看護師さんにお金を渡して代わりに買ってもらうシステムでした。私物制限がかかっているとお菓子やテレフォンカードくらいしか買えません。インスタントコーヒーすら買えません。
スマホが解禁されるまでは公衆電話でしか家族とやりとりができないので、テレフォンカードが必須です(小銭だといつ切れるか分からなくてこわい)。
ぼくは2000円ちょっと(テレフォンカード3枚)で済みましたが、たくさん電話をする友達は4000円とか使ってました。携帯電話にかけると秒でテレフォンカードの残金減っていくのマジでこわかったな。固定電話が減る中、家に固定電話があって良かったなと本気で思いました。
12時に昼食です。
昼食がいちばんボリュームがあり完食するとお腹がいっぱいになります。デザートの缶詰のみかんがおいしくて付いてくるとラッキーな気分でした。
13時から趣味活動やストレッチをします。
ストレッチはあまり参加しませんでしたが、趣味活動は積極的に参加していました。
スクラッチアートをやったり、友達とパズルを作ったり、作業療法士さんに教えて貰いながら縫い物をしたり、友達とビーズでブレスレットを作ったり。
ブレスレットははまゆきちゃんモチーフです。
月に何回か講師の方を招いての趣味活動をするのですが、その中にぬりえの活動があったんです。
入院する前はもう一生お絵描きはできないな、きらいだなって本気で思っていたんです。でもぬりえをやっていると楽しいという感情が湧いてきて、とてもうれしかったことを覚えています。
これは同じく講師の方を招いての造花のフラワーアレンジメント。やっぱりはまゆきちゃんモチーフで。
入院中でもずっとはまゆきちゃんは人生でした。
18時に夕食です。魚料理がやたら多くて、肉料理が出てきたらラッキーでした。ごはんが多い。
20時に就寝前の眠剤を貰って、21時に消灯です。
予定のない時間は友達とおはなししたり、お絵描きしたり、部屋でラジオを聴いてたりしていました。
友達とおはなしするのがいちばんたのしかったな。
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ぼくが入っていた病棟は入退院が激しく、10代からお年寄りまで色々なひとが入院していました。
陰キャなので友達どころか話相手ができるか心配だったのですが、ありがたいことに絵を描いていると「絵上手だね」と声をかけてくれたり、売店で買ったお菓子や家族からの差し入れで貰ったお菓子でパーティしたりしました。
年下よりは年上の方とどうやら気が合うようでたくさん可愛がって貰いました。落ち着いていると言われたけど自分の中では落ち着いている感じは全くないな。
それと嘘のような本当のはなしですが、入院中に彼氏ができました。
ずっとぼくのことが気になっていたようで、偶然、患者さんと「彼氏いないよ」と会話しているところを聞かれそのまま告白されました。冗談だと思ったのですが本気のようで… せっかくなので創作のネタにでもしてください。
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もちろん精神病棟なので、寝ている間に突然「助けてください」って声がどこからか聞こえたり(統合失調症ではないです)、ドアに人が張り付いていたり、看護師さんの言うことを聞かなかったり、突然興奮しちゃって拘束されてしまった患者さんなど色々な人がいました。
ドアに人が張り付いているのはだいぶホラーでした。ホラー苦手なもので…。
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そんなこんなで、最初の頃はホームシックで家に電話したら逆に悪化したりしたこともありましたが、死にたい、自傷したいという感情とは無縁となり、入院生活はそこそこ楽しくやれてました。
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ここからは退院してからのはなし。
家に帰ってきて2日くらいは調子が良かったのですが、昨日は荒れてしまいました…。
今日は診察だったので、気分安定薬であるリチウムに切り替えて様子見です。
双極性障害のおくすりといえばリチウムがまず候補にあげられると思うのですが、試したことなかったんですよね。副作用でないといいなー。とにかく波が激しいので波を抑えたいです。